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東京高等裁判所 昭和30年(う)3047号 判決

控訴人 被告人 桜井敏雄

弁護人 八木下繁一 他一名

原審検察官 池田貞二

検察官 小山田寛直

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万五千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人より金六千円を追徴する。

理由

本件控訴の趣意は末尾添附の東京高等検察庁検事提出の検事池田貞二名義の及び弁護人八木下繁一、同糸賀悌治両名連名の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。

一、無罪の部分に対する検察官の控訴趣意について。

昭和三十年四月十六日附本件起訴状の第一事実は「被告人は昭和三十年二月二十七日施行の衆議院議員選挙に際し茨城県第三区から立候補した皆川四郎平の選挙運動者であるが、昭和三十年二月二十三日頃(但し右日時の点は昭和三十年八月二十六日の本件第六回公判に於て検察官から起訴状の訂正申立があり、弁護人及び被告人に異議がなく右二月二十三日頃とあるのを、二月下旬頃と訂正された。)石岡市香丸町千八十五番地の同候補者選挙事務所に於て、同候補者の選挙運動者飯塚満貞より同候補者のため投票取纒の選挙運動を依頼され、同人が同候補者に当選を得しめる目的をもつて選挙運動報酬等として供与するものであることを知り乍ら現金三千円の供与を受けた」というのであるが、原判決はこの事実につき被告人方隣家の老母某女が昭和三十年二月二十日死亡したので、被告人は同日から二十三日までその葬儀等の手伝をしていたこと及び被告人がその後同月二十七日までの間に大槻茂男と共に新治郡西部方面の選挙情勢視察に出向いた事実が認められないことを説示し、結局本件第一の公訴事実は証明十分でないとして無罪の言渡をしたのである。

しかし二月下旬頃といつても、正確に二月二十一日に初まり平年の二月二十八日に終る八日間に限定せられた趣旨とみるべきではない。もしそれが二月十九日か二十日ということに確定的であれば、或は二月中旬頃とか又は二月二十日頃というべきである。けれども二月二十日前後たる事も確定的ではなく、単に二十日前後から月末までのいずれの日か判明しないような場合、二月下旬頃と表現することは正確さに於てやや欠けるとの非難は免れないとしてもやむを得ないところというべきである。本件に於て公訴事実が当初二月二十三日頃としながら、後に二月下旬頃と訂正したのは、日時の点において証人と被告人との供述がどれもまちまちで正確にこれを捉え難かつたからに外ならず、従つて二月下旬頃というのも二十日前後を含んで月末までの某日という趣旨と解するのが相当である。ところで本件記録に徴するに、昭和三十年二月下旬頃(というだけでより正確な日時は確定できないけれど)大槻茂男が選挙情勢視察のため石岡市にあつた皆川四郎平候補の選挙事勢所から自動車で新治郡西部地区方面に赴いたことがあり、その際被告人は右大槻に誘はれ同人と終日同行して新治郡西部並びに筑波郡方面を自動車で走り廻り、大槻の知人数名の自宅を歴訪したことが明らかであると同時に、その出発前の同日午前中右選挙事務所に於て被告人は飯塚満貞に右選挙運動を為すべき旨告げ、同人からその運動報酬として金三千円を受け取つた事実を認めることができる。原判決もかかる事実を全面的に否定したわけではなく、それが二月二十日より二十七日までの間の事実ではなく従つて二月下旬頃の犯行たることについての証明が十分でないとの趣旨で無罪を言渡したことが判文上窺い得られるのである。なるほど被告人が隣家の老女死亡のため葬儀その他の手伝のため、二月二十日から二十三日までは石岡市の選挙事務所に赴いた事実はなく、又二月二十四日は被告人がその居住の新治郡八郷町内を自動車で駆け巡つている事実が存し、前記大槻茂男と同行した日時は右二月二十四日以前の行為であると認められるのである。然しながらこれらの事実は被告人が二月下旬頃飯塚満貞より選挙運動報酬として金三千円の供与を受けたとの事実を認定するのを妨げるものでないことは上記の説明で明白であり、原判決がこの点犯罪の証明が十分でないとして無罪を言渡したのは事実を誤認したもので、この誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから論旨は理由がある。

(その他の判決理由は着略する。)

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)

検察官の控訴趣意

原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるので破棄せらるべきものと思料する。

原判決は本件公訴事実中第一の「被告人は昭和三十年二月二十七日施行の衆議院議員総選挙に際し茨城県第三区から立候補した皆川四郎平の選挙運動者であるが、昭和三十年二月下旬頃石岡市香丸町千八十五番地の同候補者の選挙事務所において同候補者の選挙運動者飯塚満貞より同候補者の為め投票取纒の選挙運動を依頼され同人が同候補者に当選を得しめる目的を以つて選挙運動の報酬等として供与するものであることを知りながら現金三千円の供与を受けたものである。」との事実につき、「証人三輪積善の当公判廷における供述によれば証人の老母が本年二月二十日に死亡し、その隣家である被告人が近隣の者と共に葬式準備、葬式及び跡片付等のため二月二十日より二十三日迄手伝をなした事実が認められ、その後二月二十七日の投票日迄の間に被告人が新治郡西部方面の選挙情勢視察のため大槻茂男と共に同方面に出向いた事実は(本件金の授受は新治郡西部方面に出向く際に行はれたと云うにある)本件全証拠によるもこれを認め難く結局これを認むべき証明が十分でないから刑事訴訟法第三百三十六条後段により無罪を言渡すべきものとする。」として被告人に対し一部無罪の言渡をなしたのであるが右は採証の法則に違反した結果事実を誤認したか、又は審理を尽さざる結果、事実の認定を誤つたものであることが明らかであるから以下その理由を開陳する。

本件記録によると被告人は公訴事実を認めていたところ原審第一回公判廷において始めて否認の態度を示し公訴事実第一については全然そのような覚えがない旨供述し、金員授受の事実までを否認するに至り供与者飯塚満貞も之れまでは被告人桜井の自白に照応する自供をなしていたのであるが公判廷において証人として尋問を受くるや金銭授受の事実はない旨を供述し、証人三輪積善も前掲判示摘録のように被告人が二月二十日より二十三日迄証人方の葬式の手伝をなしていた旨供述し原審はこれら供述を信頼し、一部無罪を言渡したものと認められる。然し乍ら原審が任意性と特信性を認めたうえで適法な証拠調をした被告人、及び飯塚満貞の各検察官に対する供述調書によれば右の如く夫々自供をなしているものであり、証人飯塚満貞の証言も前記金銭の授受を否定した供述部分を除き後に掲出するようにその前後の状況等に対する証言は本件有罪の資料となすに足るものでこれ等に大槻茂男の検察官に対する供述調書の記載同公判廷における証言等を綜合措信するにおいては公訴事実のとおり、被告人が飯塚満貞から皆川候補の為選挙運動の報酬等の趣旨として供与されるものであることを知りながら現金三千円の供与を受けたとの事実を認定することができるのである。よつて右諸証拠の内容を掲記してこれを詳述する。

一、被告人の供述について、(1) 被告人の検察官に対する第一回供述調書第四項(記録第九十四丁)に「次に本年二月二十一日か二日頃皆川の選挙運動員である飯塚満貞より金を三千円出されました。それは午前九時頃で新治郡の西部の方へ行つてくるからと暗に金のかかるような事を申したところが座敷のところであつたと思いますが、満貞さんから三千円いただきました。それをポケツトに入れ、同じ皆川の運動員である大月茂男(大槻の誤記)と二人で選挙の本部で雇つたハイヤーに二人で乗つて藤沢村山ノ荘、九重村等を廻りました。」同第七項中(記録第百一丁)に「私が前後二回にいただいた六千円は選挙運動費用は極めて僅かな金で殆んど大部分はたばこ銭と酒代位になつて了つたのであります。」旨の供述記載、(2) 同第二回供述調書第二項(記録第百二丁裏以下)に「今年の二月二十一日か二日頃で私が事務所に行つて皆に今日は大槻さんと一緒に新治郡西部を廻つて状況を見ながら頼んでこようと言つて土間の方へ出ようとした処、飯塚満貞さんが、弁当代を持つて行けと言つて内ポケツトから千円札を出したので私は数えもしないで内ポケツトに入れました。それから間もなく大槻さんが来て事務所で頼んでくれたハイヤーに乗り出掛けましたが途中で煙草を買うとき見たら飯塚さんが呉れた金は三千円でありました。それは私が新治郡西部の選挙状勢を見ながら皆川さんの為に投票を頼んで歩く為の弁当代や煙草銭運動のお礼等を含めた金であると思いました。」同第五項(記録第百七丁裏以下)に「この様に飯塚さんと松本さんから三千円づつ貰いましたが、何れも皆川さんの為に投票をまとめる為の運動のお礼やバス代、弁当代等の意味でもらつたのであります」旨の供述記載

二、供与者飯塚満貞の供述について、(1) 飯塚満貞の検察官に対する第四回供述調書第一項中(記録第四十一丁裏以下)に「二月の二十三、四日頃旧林村の人で桜井敏雄さんが事務所へ来て大槻茂男さんと一緒に新治郡の西部から筑波郡の親戚、知人を歩いて来るから自動車賃を欲しいと言うので三千円渡しました。」旨の供述記載、(2) 同第九回供述調書第二項(記録第四十六丁以下)に「それから桜井敏雄に渡した三千円は同人が自動車賃が欲しいと言うので渡したのでありますが、自動車賃と云つても必ず自動車に乗らなければならないものではなく同人が適当に使つてもよい金で同人の運動に対する御礼等の意味もあるのであります」旨の供述記載

三、証人大槻茂男の供述について、(1) 原審第三回公判調書(記録第六十八丁以下)中証人大槻茂男の検察官の尋問に対する供述として、問「桜井敏雄と選挙事務所で一緒になつたことは」答「事務所で一緒になつたことはあります」問「同人と一緒に自動車で選挙運動に行つたことがあるかね」答「ありました」問「どの方面へ行つたのかね」答「土浦西部方面つまり栄村から朝日村、栗原村と云つた処を歩きました」問「それは何時頃のことかね」答「判然したことは覚えておりません」問「大体何時頃か」答「一寸忘れました」問「二月中旬頃でないか」答「判然記憶しません」問「その時飯塚満貞から何か話がなかつたかね」答「記憶しません」問「同人から金を貰つたことは」答「ありました」問「自動車賃を証人は払つているかね」答「私は払いませんでした」問「桜井敏雄はどうかね」答「桜井さんも払わなかつたと思います」問「その時は選挙運動かたがた証人の私用も兼ねて行つたのかね」答「そうです」問「この時行つたのは結城の近くではないかね」答「そうです結城の近く迄足を伸しました」問「証人が桜井と一緒に新治西部を運動して廻つたのはこの時だけか」答「そうです、この時一回だけでした」旨の記載、(2) 大槻茂男の検察官に対する供述調書(記録第八十一丁以下)に「今年の二月中旬頃桜井敏雄さんと一緒にハイヤーで結城郡山川村酪農組合長の家に用があつて行つた時ついでに私の親戚になつている家や、妻の親戚の家三軒位訪ねて皆川さんの選挙を頼んだことがあります」旨の供述記載があつて、右供述は十分信憑性があり措信し得られるものである。即ち、右被告人等の検察官に対する供述は既にその任意性を認められているもので本件違反後間もなく検挙取調を受けた当時の供述で記憶が新鮮であることは勿論、反省、悔悟の情に満ちた心境において述べられたものでその供述は違反後相当の期間を経過し而も選挙事犯等義理人情に絡む対人関係が綿密に綾なし関係者の傍聴する面前においては正しい供述が期待し得ないような公判廷における供述よりも遥かに信頼性があるものであり又形式内容から観ても各供述が極めて自然であり且つ合理的である。被告人、飯塚満貞、大槻茂男三者の供述が良く照応一致していることは信用性が高度に認められる最たる点といわなければならない。もつとも各人の供述する供与日時の点に若干のくい違いがあるが、これとても二月中旬から投票日である二月二十七日の数日前迄の僅か十日前後の間のことであり、加えて、被告人が本件金員の供与を受けたのは大槻茂男と共に新治郡西部方面の選挙情勢視察のため同方面に出向いた際のことであつて右同行の事実が一回だけであることは右両名の供述の外被告人の第三回公判廷における供述(記録第七十八丁)からも確定できるのであるから右程度の若干の日時の相違は人の記憶の薄弱性に基くものでありその供述の信用性を些も害するものではないのである。尚飯塚満貞は第二回公判廷に証人として出廷し検察官の尋問に対し(記録第二十四丁以下)「検察官の取調べの時に桜井に金をやつたと申し上げましたがそれは考え違いをしておりましたその日やつたことはあるがそれは直接自動車屋に払いました」旨証言し公判廷において金銭授受の事実を否定するに至つたのであるが、右の如く自分が直接自動車屋に払つた金を(渡し先が何処の自動車屋であるか判然しない旨曖昧な供述をしている)桜井に供与したものと考え違いをすると云うようなことは通常の意識においては到底考え得られないところであつて全く合理性を欠き供述自体措信するに足らないものである。更に飯塚は其の後再度第五回公判廷に証人として出廷し証言をなしているが(記録第百十五丁以下)其の際の供述は、検察官の尋問に対し、問「桜井が大槻と共に新治郡西部を廻つてくると言つたのは何時頃のことか」答「二月の中旬より遅れたと思います」問「と言うと下旬に入つてからかね」答「二十日前後と思います、今では判然した記憶がなくなつてしまいました」問「証人は前に検察官に調べられた時には二月二十三、四日頃と云い、この前公判廷で述べた処によると、二月下旬頃となつているが、日時の点は判然しないのかね」答「二月の下旬頃というのが事実と思います、何分日時が経つているし、又当時は何回も取調を受けて記憶を喚び起していましたが、その後調べが済んだので安心感から今ではすつかり記憶を喪失してしまつたのが現状です」問「取調を受けた当時の方が現在より記憶も判然しており正確かね」答「その頃の方がよく記憶しておりました、今は安心感から記憶が薄らぎました」問「処で二月二十三日頃桜井が葬式のことでいなかつたというがその様な事実もあつたのか」答「あります」問「すると桜井と大槻とが一緒に廻つたというのはその葬式のあつた時の前か後かね」答「葬式より後でないかと思いますが判然記憶しておりません」問「その前後であることは間違ありませんか」答「間違ありません」次いで主任弁護人の尋問に対し、問「日時の点は判然出て来ませんか」答「判然致しません」問「検事さんに取調べを受けた時は今よりやや判然していると思うのですか」答「そうです」旨供述し日時の点は判然しないが桜井と大槻が新治郡西部を一緒に廻つたのは葬式の前後であることは間違なく取調べを受けた当時の方がよく記憶しており今は安心感から記憶が薄らいだ旨述べていて検察官に対する供述の真実性を自ら認めているのである。従つて前記合理性のない飯塚の否認の証言は右と対照しこの点からも全く措信し得ないものであつて前掲各証拠と綜合すれば本件を有罪と認むべきである。原判決は一部無罪理由として「証人三輪積善の老母が本年二月二十日に死亡した為、その隣家である被告人が葬式手伝のため二月二十日より二十三日迄手伝をなした事実が認められ、その後二月二十七日迄の間に被告人が新治郡西部方面の選挙状勢視察のため大槻茂男と共に同方面に出向いた事実は本件全証拠によるもこれを認め難い」旨説示しているが原審検察官が「二月下旬頃」と日時に幅をもたせ起訴した事実を看過誤解しているものである。即ち、前述のように被告人飯塚満貞、大槻茂男の各供述が日時の特定につき二月中旬から二月二十七日迄の間において多少のくい違いを示してはいるが、関係者が一致して認めていることは本件金員の授受が被告人が大槻茂男と共に新治郡西部方面に出向いた際におけることであつてその事実は前後を通じて只一回であるので、これを基本事実とし、且つ右被告人等の供述の若干のくい違いは人間の日時に対する記憶の薄弱性から何等不自然でないものとして二月下旬頃と摘示し起訴したものに外ならないのである。起訴状において訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないのであるがその限度は被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限りと解するのが相当であつて本件につきこれを観るに前記程度の特定で右法意は十分に満たされ且つ被告人の防禦権の行使に何ら支障を与えるものでないと思料する。従つて原判決の認めるように被告人が三輪積善方の葬式を手伝つた事実があるとしてもその前後即ち起訴に係る「下旬頃」において金銭授受の事実が認められるならば多少の日時のずれがあつたとしても事実を認定するに何等差支えるものではなくそれは前記のように被告人が大槻と只一回新治郡西部方面に出向いた際のことであつて原審が只右日時のずれを捉え被告人が二月二十日から二十三日まで三輪方の葬式の手伝をなした事実が認められ、又同月二十七日の投票日迄被告人が大槻と前記方面に出向いた証拠もないとく判断し前顕各証拠を措信せずに無罪の言渡をなしたことは採証の法則を過り、又は審輙理を尽さない結果事実の誤認の違法を犯したものである。

以上の理由により原判決は到底破棄を免れなく刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条の規定により控訴裁判所において適正な裁判をせられたく本件控訴に及んだ次第である。

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